ARBITRO MAGAZINE

THE HISTORY OF SEIKO Vol.2

 

Contents

はじめに

Vol.1ではセイコーの前身である服部時計店、そしてセイコーの名の由来でもある精工舎から始まり、第二次世界大戦直後までの歴史を紹介しました。

Vol.2ではセイコーを代表する最高峰時計のグランドセイコー、グランドセイコーに繋がる様々な時計と、第二精工舎と諏訪精工舎という2つの工場。

そしてスポーツタイプの時計の歴史を紐解きます。

THE HISTORY OF SEIKO Vol.1 | Arbitro

はじめに 日本が世界に誇る時計メーカー、SEIKO(セイコー)。セイコーというと安いというイメージが少しあるかもしれませんが、その歴史はロレックスよりも古く、スイスの高級メーカーに負けない時計作りをしてきた会社なのです。最高峰モデルのグランドセイコーをはじめ、セイコーダイバーズ、セイコー5などジャンルの異なる様々な時計

全てのベースとなったマーベル

創業者の服部金太郎の先見性、経営姿勢の元、時計先進国に学び積極的に生産設備や生産システムを導入して発展してきたセイコーでしたが、実際のところ1950年代位までは材質の差があるためヨーロッパの時計とはかなり性能の差があるという状態でした。

これは時計に限らず、カメラや車でも同じことが言えます。

1930-40年代のライカとキヤノン、ニコンのカメラやレンズは外見は似ているものの、ガラスや金属の材質の差があるため設計はほぼ同じでも機械としての耐久性や実際の写りは差が出てしまいます。

当時のカローラとベンツも同様です。

ですが、1950年の朝鮮戦争による特需に加え、情報収集や研究技術を強化したことで海外製品の模倣では無く自社の技術を確立していったのが丁度この時期でした。

1956年 マーベル (Marvel)

マーベル 17石

それまでは参考とする海外の時計がありましたが、この「マーベル」は初めて独自に設計した時計です。

そして、1956年に発売されたこのマーベルは戦後の国産腕時計を代表する1本と言えます。その理由はムーブメントにあります。

それまで敵わなかったスイス製のムーブメントに負けない精度と耐久性を持ち、分解・組立がしやすい設計となっています。

以後のセイコーの腕時計は全てと言って良いほどこのマーベルをベースとしたもので、その後の最高級モデルの「ロードマーベル」や「クラウン」そして「グランドセイコー」へと繋がります。

通産省の実施した国内の時計の品質を計るコンクールでは上位を独占し、1957年の米国時計学会(日本支部)の腕時計コンクールでもオメガなどのスイス製を抜いて1位となりました。

それまでの「国産品は精度が悪い」「壊れやすい」というイメージを払拭する契機となった時計と言っても過言では無いでしょう。

マーベルには17石、19石、21石のムーブメントを搭載したモデルがあります。

マーベル 19石

マーベル 21石

石の数が多いものほど精度が良く、グレードの高い製品です。ケースの素材や文字盤のデザインもバリエーションがあり、マーベルだけでもかなりの数が存在しています。

初代グランドセイコー

1959年
マーベルをベースにさらに精度を追求したモデル 「クラウン(Crown)」が誕生します。トヨタのクラウンが1955年の誕生ですが、それに影響を受けたかは定かではありません。

このクラウンも腕時計コンクールではマーベルを上回る精度を記録し、その優秀さを証明します。

1960年
「世界最高級の腕時計をつくる」という決意とともに、クラウンをベースに部品精度や組立技術、調整技術の全てを注ぎ込み誕生したのが「グランドセイコー」です。

翌年の1961年に腕時計の輸入規制が解除されることを控え、スイス製の時計が国内に大量に入ってくることを見越して、世界に負けない、世界と戦うための武器として作られた1本でもあります。

初代グランドセイコー 1960年

キャッチフレーズは「正確無比、生涯持つことに誇りを抱く時計

このグランドセイコーは国産の時計では初めてスイス・クロノメーター検査基準優秀級規格に準拠したモデルです。

Grand Seikoというロゴの下にChronometerという表記が入っており、歩度証明書という検査結果を記した書類とともに販売されていました。

上級国家公務員(現在の国家公務員I種)の初任給が12,000円の時代に25,000円という破格の高級時計でした。

少数だけ生産されたプラチナケースのものは140,000円で販売されていたようです。

この初代グランドセイコーは2011年、2017年に復刻されたこともありヴィンテージのセイコーの中でもかなりの人気を誇りますが、時計の数自体が他のモデルよりも少ないため価格も上昇し続けています。

東京オリンピックの公式計時

1964年
東京オリンピックにおいてセイコーは公式計時(オフィシャル・タイムキーパー)を担当します。戦後の復興力を見せるべく、国の威信を欠けて開催されたこの大会においてセイコーは無事にその大役を果たします。

オリンピックの大舞台で活躍したセイコーは世界に認知され、イメージは飛躍的に向上しました。このオリンピックでの認知はその後の世界への輸出への弾みとなります。

出展:セイコーミュージアム

スイス天文台コンクールで上位を独占

スイス・ニューシャテル天文台とジュネーブ天文台ではクロノメーター検定(精度が基準値を上回るかどうかの検定)や、スイスの時計業界の技術向上を目的としてクロノメーターコンクール(順位発表有り)を開催しており、検定にパスしたものは高級時計というお墨付きを得ていました。

セイコーは1964年にニューシャテル天文台主催のコンクールに参戦。

初年度は奮わない結果だったものの年々改善を重ね、1967年には2位と3位を獲得し、その存在感を見せつけます。

セイコーが上位を占めたためか、このコンクールでは途中順位が公開されず、参加企業にその結果だけを伝えるという規則へと変更がされました。

また、この1967年を最後にニューシャテル天文台でのコンクールは開催されていません。

翌年、ジュネーブ天文台のコンクールにおいてセイコーは過去最高の精度を叩き出し、総合で4位-10位を独占します。

1位-3位はスイス製のクォーツ式時計だったため、機械式としては世界で最も精度の高い時計だということを証明します。

出典:セイコーミュージアム

尚、このジュネーブ天文台のコンクールも1968年以降開催されませんでした。

この開催中止について運営側はクォーツ式時計の登場などにより、精度を競うコンクールの意味が無くなったためと説明していますが、実際はスイス以外の時計メーカーがコンクールで上位を独占するのを避けるためだったと言われています。

自国が誇る産業にも関わらず、外国の企業の方が優秀だということを証明してしまうということは面子が大潰れしてしまい、販売への悪影響が出かねないという判断だったのかもしれません。

諏訪精工舎と第二精工舎

1937年に精工舎の腕時計製造部門として独立したのが第二精工舎(現セイコーインスツルメンツ)で、工場が亀戸にあることから「亀戸工場」と呼ばれていました。

1942年に精工舎は下請けメーカー「大和工業」と契約を結び、長野県諏訪市で腕時計の製造を初めます。

第二次世界大戦時、亀戸工場は兵器類の生産に移行せざるを得ず、腕時計の生産は殆ど行うことが出来ませんでした。

戦火が激しくなった1944年に会社ごと長野県諏訪市に疎開し、諏訪工場を開設します。

そして戦後、大和工業と諏訪工場が合併し諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が誕生します。こちらは「諏訪工場」と呼ばれていました。

精工舎の疎開先は桐生、富山、仙台、そして諏訪の4つがありましたが諏訪のみを残し、全て撤収しています。

戦災によって復旧を図る亀戸に対し、諏訪はメンズ時計の開発・製造で一歩進んでいました。先程紹介したマーベル、クラウン、そしてグランドセイコーは全て諏訪の製品です。

対して亀戸はユニーク、クロノス、キングセイコーという製品を生み出しています。

この2社は同じ精工舎ではありますが、別会社のためそれぞれ独自に設計・製造をしていたという、現在の考えからするとリソースの無駄遣いですが、非常に面白い点でもあります。

諏訪が価格を度外視した最高級のグランドセイコーを生み出したのに対し、亀戸は「買える範囲で最高の実用時計を作る」というコンセプトで準高級ラインのキングセイコーを生み出したという背景があります。

その後グランドセイコー、キングセイコーなど複数のラインで諏訪製と亀戸製の両方が製造されます、それぞれに特徴があり微妙に違うというのがセイコーのコレクターが生まれる理由の一つかもしれません

独楽のような諏訪製のマーク
稲妻のような亀戸製のマーク

上の時計は諏訪製のキングセイコー(KING SEIKO)で、下の時計は亀戸製のキングセイコー スペシャル (KING SEIKO SPECIAL)です。

スポーツタイプ

戦後から60年代後半にかけて、セイコーは機械式時計において黄金期と言えると思います。実際、後世に残る名作と呼ばれる時計が多く誕生しています。

グランドセイコーはもちろんですが、後のSEIKO 5となるスポーツマチックファイブ(1963年)、150m防水ダイバーウォッチ(1965年)、世界初の自動巻きクロノグラフ(1969年)と言ったモデルは現在になって価値が再認識されています。

SEIKO 150mダイバー (通称 ファーストダイバー)
セイコーウォッチ公式ページより
SEIKO 6139 自動巻きクロノグラフ (通称ペプシ)

特にクロノグラフとダイバーに関してはかなりのエピソードがありますのでそちらは別の投稿にて扱いたいと思います。

まとめ

1960年代後半は機械式時計の黄金期であると共に「時計の電子化」の波が近づき始めた時代でもあります。

Vol.3ではセイコーによってクォーツ式と呼ばれる電池タイプの時計が世界を席巻していきスイスの時計産業で起きた「クォーツショック」について。

それに伴い産業構造が一気に変わっていく1970年代、セイコーが苦境に立たされる1980年代、再度機械式へと回帰していく1990年代。

そして、現在への流れを追っていきたいと思います。

参考ページ

「Hisotry」 グランドセイコー公式サイト
「グランドセイコー ファーストモデル」TIMEKEEPER 古時計どっとコム
「The History of Seiko Through 12 Milestone Seiko Watches」WatchTime
「セイコーの歴史」セイコーミュージアム
「グランドセイコー」wikipedia

 
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